p-hone p-hone.info

大学生活の思い出3 〜インターン、社会経験、生活力〜

大学生活の思い出シリーズその3。 これまでのバックナンバーは以下。

学部三回生になり、ついに就職活動を意識せざるを得なくなった。 働くならプログラマーという気持ちはあったが、具体的にどこの企業で働きたいというイメージはなかった。

しかし、時代的に就活生は早めにインターンシップに参加しないと取り残されるぞ!といった空気があったので、焦って誰もが名前を知ってそうな会社に応募し、2社のインターンへの参加が決まった。 どちらもグループ全体で1万人を超える大企業である。

選考に通る自信は最初はなかった。 その時はまだ労働の経験もなく、企業に求められる人とはどういう人なのか知らなかったから。 しかし選考通過の結果を見て(あれ?もしかして私って”できる”方?)と自惚れが芽生えてくる。 今になって振り返ればまぁそうだ。小学生時代からずっとパソコンに張り付いてWebサイトを運用、中学生からはWebアプリを作り始め自前で開発、運用…。 今で言うフロントエンドからバックエンド、インフラまですべてを一人でやっていたのでスキルは十分あったのだろう。

ずるい(?)のは、幼少期から(就職を意識してITを学ぶぞ!)と計画していたわけではなく、 たまたま面白いおもちゃ(コンピュータとインターネット)が目の前にあり、 夢中でいじり倒していたらいつの間にか就職に有利になっていた、ということ。 だから、インターンの業務も正直”超余裕”だった。 技術的な課題は何が来てもなんとなくわかるし、ついていけなくなるということは一切なかった。 結果としてインターンの最後の評価ではSランク(最高ランク)をもらい、いきなり最終面接にジャンプできる切符までもらった。

さて、ここまでは異世界チートアニメ並の陳腐なお話だが、現実は複雑でそう簡単には攻略できないものだ。 確かに人生の多くをコンピューターに捧げたことで同世代の中でも突出したスキルを持っていたかもしれない。しかし、人間に与えられる時間は平等であり その分何かが欠けてしまうのは自明である。

私の場合は「社会経験」「生活力」といった部分だ。 インターンの場所は東京と神奈川で、関西の実家住みの私はその間どこかに泊まる必要があった。 つまり、(1ヶ月ほどではあるが)ひとり暮らしとなる。 この時点で私はお米の炊き方も知らなければ、洗濯洗剤の種類もわからない状態で、本当に生活なんてできるのか?と不安で仕方がなかった。 学生なのでお金もなく、最初はユースホステルという一部屋で知らない人たちと一緒に詰め込まれる施設だった。お客さんは外国人ばかりで突然外国語で話しかけられてビビって「Noooo!!」と言って逃げたりした。


宿泊したユースホステルの内装

社会性の不安もあった。いままでは一人または気心の知れたサークルの友達と雑にプログラミングすればよかったのだが、インターンは違う。 初対面の社会人先輩と一緒に実務(や飲み会)をするので、いわゆる社会性が試される。 これだけでなく、細かいものも含めて様々な社会の洗礼に揉まれて精神は疲弊しきっていた。 面白いことにインターンの間は毎日日記をつけていたので、一部を抜粋する。

本社はほぼすべてのドアにセキュリティチェックがかかっており、すごく面倒だった。
今日の分の勤怠記録は明日の朝つけるとよい、と言われた。

多くの社員がいる中で、あたふた動いててなかなか恥ずかしかった。頭痛くなった。

明日は9時出社。8:30からはエレベーターがすごく混むと教えてもらった。
3Fにいく階段もあるらしいが、搬入用の階段らしい。

お先に失礼しますといいながら
逃げるようにスピード退社。
疲れきった感じで、同じ課の人達とLINE交換して、新橋駅まで歩いて帰宅。

同期の人が
これがあと10日もあるのか…(疲弊)
といってたぐらい、疲れた。
でも、さすがに通ってるうちに慣れるとはおもうが……どうだろうね。

業務も「技術的な」部分は余裕だったと言ったが、それ以外の部分は…………。 一番覚えているのは不具合を出してしまったのに、なんとなく先輩に話しかけるのが怖いなという理由で不具合を隠したまま勝手に帰宅して 翌朝に怒られたことだ。いくらコミュニケーションがしたくないといってもそこで逃げたらその後がさらに厄介だと想像できなかったのだろうか? ……と今なら呆れるが、当時はそんな社会性だったらしい。

というわけで、インターンはプログラミングの実務を経験して成長……はしておらず、 はじめての一人暮らし、はじめての社会体験という部分が多くを占める経験となった。 ポジティブに考えると学生時代にこういう部分を先に経験しておいてよかったとも言えるが、とにかく精神的に辛かった。

では、そんな辛い精神状態をどうやって乗り越えたか? それは 「アニメ」と「仲間」 である。 学部2回生から深夜アニメにハマったことは前回の記事の通りだが、まずこれが辛いときの心の支えとなった。 労働を終え、心身へとへとになった状態で寮に戻りテレビをつける、『さばげぶっ!』が映る。 このとき(あぁ…現実は厳しくてもさばげぶっ!の女の子はいつも通りで素晴らしいな…)と心に染みたのは忘れられない。

そして、「仲間」だ。インターンに参加している学生は自分ひとりではなく、多くの仲間がいた。 改めて書くと照れくささはあるのだが、精神的に辛いときに近い境遇の仲間がいると最高に心強い。 特に覚えてるのはインターン生の自己紹介ターンで緊張した空気が流れる中「僕はラブライブ!が好きで〜」と自己紹介した人がいて 私の中に衝撃が走った。 そのあと一緒に買い物にいったり、Twitter IDを交換してラブライブ!の画像を送り合ったりしているうちによく話すようになり、なんと約10年経った今でもよく一緒に秋葉原に通っている。

また、関西住みが初めて長期間関東に滞在した機会でもあったので、関東のアニメ聖地を巡った。 当時は『ハナヤマタ』というアニメを観た直後で舞台である鎌倉に行ってみたい気持ちが高まっていて、インターン期間中の土日に鎌倉に出向いた。 高校時代の同期で関東の大学に進学した友達が一緒に来てくれた。自分の1000000倍ぐらいアニメと声優に詳しいオタクで、これまた頼もしかった。 ハナヤマタスタンプラリーを制覇し、OPに登場するはちみつソフトクリームを食し、Endingの曲『花雪』をリピート再生してはアニメの思い出に浸っていた。


▲ハナヤマタに度々登場する踏切


▲ハナヤマタスタンプラリー

鎌倉だけにとどまらず、その友達と鷲宮(らき☆すた)、秩父(あの花)、飯能(ヤマノススメ)、横須賀(艦これ)を旅し、締めには『深窓音楽演奏会』というライブ・イベントに参加したのち関西に帰還。 大満足の遠征となった。


▲なやみん坊ー高鉄棒ーおいしん簿ーいーかげんにしいなさい!


▲人生で初めて「巡礼ノート」みたいなやつを書いた

月並みな結論になってしまうが、 ここで得られた教訓は人は誰でも未経験の物事に踏み入るのは怖いが、 勢いで飛び込んでしまえば結果的にやってよかったとなることが多い、ということだ。

しかしその際には精神的に負荷がかかることが多いので、「心の支え」となる何かが重要である。 私の場合はそれが「アニメ」と「仲間」だった。

欲しいのは少しの踏み出すちからと 弱気な心を開ける魔法のキー