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昔のインターネットは良かったって本当?

ときどき「昔のインターネットは良かった」という呟きや記事を目にする。 一瞬、確かにそうだったと思う。このブログでも昔のインターネットの思い出を何度も書いてきた。でも、もう少し考えてみると一概にそうとは言えない気もしてきた。

いや、確かに昔の方が良かった(=今のインターネットはひどい)と思える事実は確かにある。まず浮かぶのは商業主義の行き過ぎによりノイズが多すぎること。Googleで何かを検索しても「いかがでしたか?」で終わる量産型の記事ばかりヒットするだとか、いたる所に広告が多すぎるとか。このあたりは「インターネットは儲かる」といった考えが広まりすぎた結果な気がする。

並んでよく見かけるのは特定のSNSへの一極集中化、そして中央集権化による弊害である。まったく異なる文化圏の人たちが同じ壇上に並んでしまい意図しない拡散のされ方をして殴り合いを続けるといった様や、巨大なテック企業による不条理な運営などが語られる。

どちらも確かにそうだなと思える。しかし、そこから「昔のインターネットは良かった」と言い切れるだろうか。 ここで私が見た”昔のインターネット”はどうだったか振り返る。私が生まれ育ったのは黎明期のJUNETやfjではなく、mixiやTwitterといった新興のSNSでもなく、ヤバい奴らの集会所こと2ちゃんねるである。2chを思い返すととても「昔のインターネットは良かった」とは言えない。事ある毎に暴言を吐かれ、貼られたURLを踏むと死体の写真やPCを破壊するブラクラが飛び出てくる。そして無意味な連投(荒らし)が現れてまともにスレを読めないことすらあった。それは2chが(そして私の見てた板が)酷かっただけだろという説もあるが、2ch以外の場所、たとえば個人サイトでも色々と苦労が多かった。例えば趣味のコミュニティに入りたいと思ってもそこまでのハードルが高かった。ソーシャル的なつながりを作るにはネチケットを守ってBBSで丁寧に挨拶から。自分でも発信をしたい!となるとHTMLを勉強してFTPソフトの使い方を覚えて、相互リンク希望ならお互いの合意を経た後に……となにかと知識と手間がかかるものだった。

一方現代は……、巨大テック企業により管理されたSNSではボタン一つで誰かをフォローできてコミュニティへの参加も簡単だ。巨大なテック企業によって作られたOSやブラウザーの進化によりデカいポップアップ広告やPCが破壊されるサイトにもまず遭遇しない。APIの制限やAIの進化で「荒らし」的な投稿もできない。 特に自分はTwitterの仕組みが好きで、堅苦しい挨拶は抜きにしてフォローだけしておいて、お互い好き勝手独り言をつぶやく。その話題気になる!というときだけ乗っかって話しかけたりできる。適度なゆるさが一番の魅力だと思っている。 Twitterを始めてから知り合った人が何人もいる。2chの時代はそんなことはなかった(そもそも2chは匿名だしね)。Twitterはここ最近殺伐としていてもう終わりだという愚痴?を時々見かけるが自分の観測範囲ではそう見えない。自身のTL構築が上手いのか、単に運が良かったのかわからないけど今でもTwitter最高!の気持ちで生活している。

こうして振り返ると……今のインターネット、素晴らしくないですか? もちろん、巨大テック企業によるお世話が行き過ぎた結果がSEOだったり中央集権化による恐怖政治なんだよというのもわかるんだけど、それはトレード・オフであり「昔は良かった」にまとめるのはよくない。

どこかで「インターネットにも都会と地方があって、都会に疲れたら地方に移動すればいい」といった書き込みを見たことがある。「今のインターネットは〜」と憂う人たちはTwitterやRedditなどの”大都会”を例にあげて語りがちだ。そこで地方に目を向けてみるとまた違った景色がある。 2020年頃にとあるお絵描きBBSにアクセスしたことがある。そこでは争いもノイズもないやさしい世界が広がっていた。あぁ、今でもインターネット上にこういう場所ってあるんだと感心したのを覚えている。似た考えからか「インターネット2」という概念を打ち出して実際にDiscordサーバーを作った例があったのも思い出す。単なる話のネタとして、美化された過去を語るのが気持ちいいだけで今がどうとか関係ない、というなら構わないが……本気で今のインターネットはダメと思っているなら地方へ目を向けてみると面白いかもしれない。現実世界の都会vs地方論争と同じで、地方には地方の辛さがあるだろう。しかし、都会しか知らないまま育つよりは、両方知った上で自分に合った場所を吟味できるとより良いのではないか。現実世界とは違ってインターネット上では異なる土地でもすぐにアクセスできる。