コンテンツの供給過多と幸福
インターネットが発展してすごく出来が良いコンテンツがすごい速度で流れてくる時代になった。 自分は昔から萌えイラストを探し求めているのだが、pixivやTwitterといったソーシャルサービスが現れてからとてつもない速度で新しい絵を探せるようになった。最近のサービスはリコメンド(これが好きなら、これもおすすめです、といった候補を出してくれる機能)が充実してて頭を使って検索ワードを考えなくてもおすすめ欄を脳死でクリックし続けるだけで次々と新しい絵がでてきて、すごすぎる。
最初こそやったー!!無限に好きな絵が流れてくるぜ!と感動してたのだが、その状態が何ヶ月も、何年も続くと…どうか? これで最終的に幸福度が上がったのだろうか?って気になった。 たしかに昔は好きな絵を見つけるだけでも時間がかかって苦労していたのだが、その分見つけた瞬間の感動も大きかった気がする。今はあまりに供給が多いので個々の作品への感動が薄くなってる気がする。 さて、これは幸せになったといえるのか?
供給速度が上がっても、人間の身体は一定時間眠らないと活動できないし、世界の時間の進み方も不変。 なので受け手の我々が処理できる量は昔の時代と変わってない。むしろ学生から社会人になって時間が減ったかもしれない。では、スループット重視で大量のコンテンツを流し込み続けても幸せになれないのでは…?と考え始めた。いやしかし、反論の余地もある。コンテンツといってもそれぞれ受け取ったときの感動指数は違う。うーんまぁ良いね、70点!となるものもあれば、これは好きすぎる!100点!というのもあるだろう。そして、供給が多いということは作る側の競争も激化するので結果としてどんどん良いものの上限値が上がっていく。昔だと見られなかったような高得点のものに出会える可能性が高まる。
じゃあ別に良いじゃん。質の高い作品がたくさん見えてハッピー!終わり!…とはあまり考えられなくて、 そもそも好き、感動、幸福の度合いってどうやって自分の中で決定されてるのか…?とか考えはじめてしまう。 コンテンツそのものが50点でも苦労して手に入れるとなんだか思い入れが強くなり100点のように感じたりするんじゃないか?とか、どれだけ質が高くてもリコメンド機能で一瞬で見つかったものは「ふーん、まぁいいね」程度で終わらせてるのかも。ゲームのスコアならまだしも、絵なんて質が高い低いなんて数値化できないんだし、好きかどうかなんてその日の気分によっても変わるんだし正直わからない!とにかく今日も暇さえあればpixivを開いてホームの「おすすめ作品」にいいねをつけまくる作業がはじまる。