飲み会の会話と、オタク気質
飲み会が苦手だ。なぜか…アルコールがダメというのも多少はあるが主因はそこではなく、飲み会の場(会話)が苦手なのだと思う。 最初は趣味の話ができないからだと思っていた。自分の趣味が偏っているから飲み会の場でその話題で盛り上がれることがめったにない、だから飲み会が嫌なのだと。
社会に出たての頃、会社の先輩から飲み会に誘われた。 「p-honeくんってアニメ好きだったよね。今度アニメーターの人たち呼んで飲み会するからおいでよ!」とのお誘いだった。 それを聞いて(アニメの話が堂々とできる飲み会なら楽しそう!)と感じ「行きます!」と即答。
だが、結果としてその飲み会は楽しめなかった。 確かにアニメのお仕事をしている人たちと会えたし、それなりにアニメの話はできたのだが いまいち…こう、心から盛り上がれた感触がなかった。 終わってからなんでだろうなぁと考えてたら、薄々と悲しい事実に気づいてしまう。 そうか、会話が盛り上がらないのは自分の趣味が偏っているからではなく、飲み会的コミュニケーションが下手なだけなんだって……。
それはどういうことか。対話というのはお互いが相手のことに興味を持って、能動的に相手のことを知ろうとして上手く成立するものみたいだ。 特に初対面では重要だろう。しかし自分はそれが上手くできていなかった。 人への興味より先にデータや理屈が先行してしまうのだ。
すこし前に大学の後輩からこんな話を聞いた。「たとえば、最近洗濯機を買ったんですよって話をするじゃないですか、そういう時コミュニケーションが上手い人はへぇ、どういう理由で買ったんですか?とか買って生活どうなったんですか?なんて相手に尋ねてそこから相手の生活の話とかに広げていくんですね。 でもオタクは違うんです。買った洗濯機ってどこのメーカー?スペックは?という話を始めてしまう……」
この話はなかなかにグサッと刺さった。相手の人間性を知ろうとせず、データを回収して満足する。 これは確かにその後の会話も関係性も広がりにくそうだ。 うわぁ、自分今までそういう思考してた気がする、 ……そっか……それが”オタク”か…と。 「オタク」と言うと他の意味と混同しそうなので、こういう性格を「オタク気質」と呼んでいる。
でも、そんな気質な私でも楽しい飲み会はある。 たとえばライブ・イベントの後の打ち上げだ。その時間は終わってから(あ〜楽しかった!)と心から思えるほどの満足感がある。 それはなぜか?もちろん、既に一定以上の仲良しメンバーだから気を使わずに済む、というのは大いにあるが それだけでなく、ライブ・イベント後のオタク飲み会には何かがある気がした。
ライブ後のオタク飲み会では「今日の〇〇が良くてさぁ!」→「いや△△が良くてさぁ!」と 雑に良かったものとその感想を投げ合う会になりがちである。 そう、この対話は相手の人間性を深堀りするステップが存在しない。それどころか相手の発話に対する返事もまともにせず、即座に自分の感想を投げ返す勢いだ。 よく会話はキャッチボールに例えられるが、ライブ後オタク飲みはいうなれば片道キャッチボールだ。
お互いが好きなだけボールを投げて、ときに興味のあるものだけ拾って投げ返すが、飛んできたボールを拾わず放置することもざらにある。 「〇〇って作品おすすめだよ」→「へぇ〜今度時間あったら見とくね、ところでさぁ〜〜!」→そのまま最初の話題は消滅なんてのもまぁよくあることだ。 この会ではお互いが”そういう場”とわかった上で存分にデータを投げている。 たまたま飛んできたボールが自分の知らないデータならば自分の中のデータベースが補完され、よりオタクは強固になる。 そりゃまぁ満足感もあるだろう。
より強固にしてどうする、まずそのオタク気質をなんとかしろ!と考える人がいるかもしれない。 オタク気質は悪いことだろうか・・? 確かにデータ理屈先行な会話は一部の人に嫌な顔をされるかもしれない。 でもそんなオタク気質が役に立つこともある。たとえば普段私が労働をしているSoftware Engineeringの世界なんかは データや理屈へのこだわりが新規性や事業の差別化となりうる。 オタク気質は恥じるべき、治すべきものではない(と、信じたいよね)。
じゃあ、どうやってオタク気質で新しい友達を作ればいいんだ、初対面の人と仲良くなれないじゃんと心配な方には とてもいい解決策がある。TwitterというSNSだ。 常に対話する必要はなく、好き勝手に自分語りやデータの羅列をやっているだけでもじわじわと人間性が伝わるし、 それがたまたま相手の興味ある話題であれば反応が返ってきたりする。 Twitterで相手の普段の”自分語り”を知った上でならたとえ現実世界で初対面だとしてもやりやすいはずだ。