オタクの逆張り
2022年は映画『すずめの戸締まり』が公開されたことは記憶に新しい。 ところで、すずめの戸締まりという音節を聞いて連想されるのは「オタクの逆張り」だ。
アニメ好きの中にも「世間的に有名なアニメはあえて避ける(または高く評価しない)」という態度をとる「逆張りオタク」が存在する。というか、自分もそうだった。 少し昔のインターネット(特に2ch等)は主要メディアに対する対抗意識があった気がしてて、自然と逆張り精神が身についたのかもしれない。
2013年にアニメ『ラブライブ!』に夢中になって本気でこのアニメはもっと評価されるべきだし皆に知ってもらいたいと感じていた。しかし、その通り、いや予想以上にラブライブは大人気コンテンツになっていった。結果、アニメ第2期が始まる頃には逆張り精神が発動してしまった。 ちょうどいい時期に『Wake Up, Girls!』や『普通の女子校生が【ろこどる】やってみた。』などの他のアイドル・アニメが始まったのもありラブライブ!サークルの自己紹介欄に「最近は仙台や流川のアイドルを推してます!」と書いて(いや〜今はあえてラブライブ!以外を推すのがカッコいいだろ)と本気で思っていた。
なぜわざわざ逆張りをするのか? 単に有名作品に対する飽きもあるとは思うが、それに加えて「ふっ……俺は他の奴らとは違うんだよ…」、もうすこしマイルドに言うと、何かしら大多数とは違うアイデンティティが欲しい(≒何者かになりたい?)気持ちが根底にあったのではないだろうか。
しかし、逆張りを続けるのも結構に大変である。逆張りを始めた頃は(私ってイケてる)という優越感があるのだが、こういう気持ちってそうそう長続きしない。 中二病に対する高二病のように「過去の自分」は徐々にダサく見えてくるものだ。 そうなるとどうなるか?逆張りの逆張りが始まる。「逆張りぶってるのはダサい、今は順張り(?)がイケてる」という発想に至る。上の例で言うなら「いや、敢えてラブライブを推すのが逆に通っぽいだろ」といった考えになる。じゃあその自分すら過去の自分となったら、逆張りの逆張りもダサく感じてきて……次は逆張りの逆張りの逆張り?
逆張り、逆張りの逆張り、逆張りの逆張りの逆張り…と巡った果てに行き着くのは全部見ればいいという境地だ。メジャー・マイナーに関わらず全部摂取していれば純粋に自分が好きなものに出会えそうだし、一番強そう。確かに立派な考えに思える。でも全部って……、深夜アニメだけで1クール50本近くある現代に全部見るというのはなかなか苦しい。そこのバランスをどう取るかがアニメ好きたちの頭を悩ませる。色々考えた結果、話題作だけ見るというのが一番楽という結論になるかもしれない。
順張り、逆張り、どっちが優れているとかはないだろう。私たちは振り子のように逆張りと順張りを行ったり来たりしていく。しかし実は振り子のように同じ場所を行き来しているのではなくて、螺旋階段のように少しずつ上昇しているのかもしれない。そんな話がどこかの意識の高い本に書いてあった気がする。1回目の逆張りとn回目の逆張りでは見えてくる景色も違うのではないだろうか。