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何者かになろう

最近ネットでよく「何者かになりたい」というキーワードを目にする。 SNSが普及して皆がそれぞれ何をやっているのか見えやすくなった時代だと、自分の個性を出したい(アイデンティティを得たい)という気持ちがより強くなるからだろうか。

たとえばこの記事では趣味が多種多様になった結果だという考察がされている。

趣味も嗜好も多種多様。“普通”が失われてしまったんです。結果、無個性だとどこにも属せず、とても不安を感じるんです。その不安に駆られて、無理をしてでも“趣味を持たなきゃ”、“好きなことを見つけて打ち込まなきゃ”と焦る」(森永氏)

「オタク」になりたい若者たち。倍速でも映画やドラマの「本数をこなす」理由(稲田 豊史) | 現代ビジネス | 講談社(4/6)

何をしたら「何者か」になれるのか

何者かになりたい…そう思うのは良いとして、では、実際何をしたら「何者かになった」といえるのか? そんなの、答えは永遠に出ない問題でしょうと言われるかもしれないが、自分の中ではひとつ明確にある。 それは、他人に影響を与える ことだ。何者かになっている人、というのは多くの人に影響を与えている人だと個人的には思っている。

他人に影響を与える…つまり何?かといわれると色々あるが、おすすめ例は ブログを書く ことだ。 どこの記事で読んだかは忘れたが「自分の書いたものが他人の思考を歪めたという事実は非常に気持が良い」という文章を見て感動した覚えがある。 自分の考えたことをを文章にして、それにわずかでも影響される人がいるというのは確かに気持ち良い。

もちろんブログじゃなくても他人に影響を与える方法はたくさんある。 絵を描く、作曲する、ゲームを作るでももちろん良い。ただ、このあたりの技術は最初の修練が大変でそこを乗り越えて楽しめる領域まで至るのが大変だったりする。一方、文章を書くのはまだやりやすい。 別に大長編の物語や文学的な詩を書く必要はない、自分の言葉で考えを少しずつ書き起こすだけでいい。

自身の考えを発信して他人に影響を与えるならTwitterなどのSNSで十分なのでは? という考えもあるだろう。確かにそれもそうだ、Twitterだとブログよりも気軽に投稿できるし、他人の反応を得やすいシステムになっている。でも、個人的にはブログをおすすめする。なぜならTwitterは基本フォローしている人の投稿しか見えないからだ。リツイート機能などでその枠を超えた拡がりはあるが、基本的には同じ考えを持っていたり、リアル知り合いの集団(クラスター)内で閉じることが多い。また、140文字制限があるためその中で考えを詰め込むのはむずかしい。コンテキストを共有できず意図しない形で取り上げられて炎上するなんて風景もよくみる。

一方、ブログはSNSのクラスター外からのアクセスが意外とある。主に検索エンジンからの流入だ。 この流入のおかげで思わぬ人に考えが届いたり、影響を与えられたりする。 人間は何事にも「慣れ」を感じる生き物なのでSNSで親しい人とやりとりをして影響を与えた!という嬉しさも次第に慣れて特に何も感じなくなることがある。そんなときに思いがけない人に記事の影響が届いたりすると普段とは違う刺激を受けられて面白い展開になったりするし、(書いてよかったな)と満足感を味わえる。また、ブログには140文字制限なんてものはないため、自由な長さで書ける。 よって前提知識の共有もやりやすい。

何をどこで書けばいいの?

あまり高尚な考えを書く必要もないし、長文にする必要もない。 Twitterの140文字を1文字でも超えたらそれはもうブログでしょう。 〇月×日、今日は何を食べました、でもいい。もしかしたらその記事に影響されて「今日は〇〇を食べよう!」となる人がいるかもしれない。他に定番のものだと最近買ってよかったものや良かった作品の感想なんかも書きやすくてよい。

どこで書くか、どこでもよい。こだわりがないなら自前でWebサイトを構築する必要もない。 はてなブログnoteに登録したらすぐにでもインターネットで文章を書き始められる。 おまけとして、よーしなにか書こうかな!という気にさせてくれる熱い記事を載せておく。 このブログを見ているということは大抵がオタクコンテンツやサブカルが好きな人だと思うのでこの記事は非常におすすめしたい。

何者かになる必要あるの?

それは……わからない。最近『ハッピーライヴ ショウアップ!』というゲームをプレイしていて作中で「何者かになりたい」的な話が出るシーンがあるのだがそこで出た台詞が印象に残っている。