下手な絵の魅力
一般的にイラストは上手ければ上手いほどよしとされるが、では下手な絵は悪いのかと言われるとそうでもないなと日々思う。 まず下手の定義とは?という問題があるが、そこは名作漫画『ステラのまほう』8巻カバー裏漫画の引用で代えさせていただく。 「下手」は人それぞれだが「画力が高い/低い」の尺度はあるというニュアンスだ。
観察が不十分なまま何かを描こうとすると曖昧な部分を知識で補ってしまいがち。 これが実際の見た目と相反するせいで違和感のある絵になっちゃうわけね。 「絵の上手さ」をどこに見出すかは人それぞれだけど画力…つまり絵の説得力に関しては「正しい観察」「正しい模写」に宿るものと思ってるわ。
では、これは私が2015年に描いたイラストだが……。
自分で描いたから言えることだが、今見ると「この絵、画力が低いな〜」と感じる。 しかし、画力が低いけど…悪くないじゃんとも感じる。 今だったらこう描くのに…という考えはたくさん浮かぶけどこれはこれで独特の味があるじゃないかと。 なぜそう感じるのか?
それはきっと我々が絵を見るとき、画力以外の情報も楽しんでいるからだろう。 たとえば↑のイラストでは(絵の練習をしたことがないのに、こういうネタが発表したい!と意気込んで頑張って描いたんだったよな…)という背景を知っているからしみじみと……ほっこりする気持ちが生まれる。 より極端な例だと幼い子どもが描いた絵なんかがわかりやすいだろうか。明らかに画力は低いが「まだ幼いのに頑張って描いてる、かわいい!」といった背景情報があるから見ても「悪い」とは思わず「ほっこりする」のである。
また、こういった天然の画力の低さは、画力が高いと逆に再現ができない。画力が高い=(現実の)模写として正しいとするならば 画力が低い絵は現実とはどこか離れていることになるが、その離れる方向は作家それぞれで異なっていて個性、独自の味になる。 そうなると、マンガ的な誇張表現やデフォルメ絵は現実離れしているから「下手」なのか?と疑問も湧いてくる。きっと多くの人はそうではないと答えるだろう。 画力が低い(模写的に正しくない、デッサンがおかしい等)はその方向によっては一部の人に突き刺さることもある。
ここ最近ではそうした考えと再び向き合う契機もあった。AI生成イラストの登場である。 たとえば一部のAI生成モデルには特定のキーワードを用いて教師データから評価スコアが一定以上のものを優先的に使うことで美麗な絵を作り出すテクニックがある1。こういったテクニックが持て囃されるほど生成される絵は画一的になり、「下手」と呼ばれてきた絵の個性がむしろ魅力的に映るのではないだろうか。
こうやって考えていくと「画力が低いと恥ずかしいから…」という理由で絵を描くのを諦めたり、公開をためらったりする必要はないなと強く感じる。 確かに多くの「いいね」を稼げるのは画力が高い絵かもしれないが、そうでなくても作者が予想してなかったところで一部の人になにかが刺さるかもしれないし、背景情報込みで面白い伝わり方が体験できるかもしれない。こうやってブログのネタにするとかね!
脚注