詳しくなくても好きな作品はある
アニメ愛好家の間では「〇〇という作品が好きで〜」という話題は定番だ1。 ただ、アニメを多く・長期間見ていくほどに「〇〇が好きです」と言いづらく感じることがあった。 なぜか?好きということはその作品について詳しい必要があると思っていたからだ。
なぜそう考えているのか。 何年もアニメを見続けていると、 ただ見るだけではなんだか物足りない、カッコよく感想をまとめたり、いっちょ批評でもやってやりますか!という気持ちが芽生えてくる。 特に上手い切り口で語った文章に触れるとより一層(こんな文が書きたい!)と憧れを抱く。
当然、作品についてしっかり語るなら作品内容に詳しい方が望ましい。 だからその憧れのような気持ちが先鋭化した結果、「好きを自称するなら詳しくならないといけない」という考えに頭が支配されたのだろう。
しかし、別にそうなる必要はない。 批評を本業とする職に就きたいならともかく、趣味としてエンタメを摂取してるのに試験勉強や論文のように頑張る必要はない。 作品を事細かに読み込んで批評することに楽しみを覚え、趣味としているならいいのだが、 元々そういう指向がない人は無理して詳しくなろうとしなくていい。 だから全員が全員「好き=詳しい」じゃなくてもいい。
えっ?じゃあ作品の内容についてまるで理解していない(or覚えてない)のに、その作品が好きって一体どういうこと? それは、なんとなくビジュアルが好みだったとか、主題歌が好きだったとかでいい。 あるいは人生の辛い時期にその作品が唯一の癒やしだった…とかでも好きな理由として十分だ。 たとえ内容を忘れていても、自分にとってその作品に救われた事実は変わりないのだから。
そういうわけで、最近は内容を全然覚えてない作品でも「〇〇が好きです!」と堂々と言える気がしてきた。
家に帰れば、 その歌を聞くことが出来ると、 あの歌を聞けばすべて忘れることが出来る、 と、そのことを励みにしていたからだ。 ぶっちゃけいうと、ずいぶんと昔のアニメということもあるし 内容なんてひとかけらも覚えていない。 でも、そういうことではないんだ。 人生には後から考えると信じられないほど、どうしようもない時期というものが存在する (と同時に後から考えると、それほど深刻に捉える必要もなかったのだ、と気づくがそれは別の話)。 そういった時期に俺のような生粋のKKOが生きていくために必要な何か、 それを与えてくれたのが花右京メイド隊だった。
はてな匿名ダイアリー - ハーレムアニメって馬鹿にすることは簡単だけど それに救われた経験がある.. より引用
脚注
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アニメに限らずエンタメにおいては何でもだが、自分はなんでもアニメ基準でしか考えられないのでアニメに絞る ↩