不思議の国でアニメと
劇場アニメ『不思議の国でアリスと -Dive in Wonderland-』を見た。 …優しいアニメだった。
就活に悩む大学生がワンダーランドでアリスをはじめとする様々な人(?)に出会い 心が晴れて前向きに進んでいくというお話。最後に悪を打倒したりデカいことを成し遂げたりするシナリオではないため 見る人にとっては退屈といった感想もタイムラインで見られたが、私はこういう、見る前より少しだけ前向きになれるような後味の作品が好みのようで、大変よかった。
思い返す。私も子供の頃お風呂やお布団で不思議の国(…といえるほどメルヘンな世界観ではないが)に入り込んでいた。 そこにはやはり、気弱な自分を連れ出してくれるような”友だち”がいた。りせに対するアリスのように 私とは正反対の性格で、臆することなく何でもハッキリ言ってくれて、自分の手を引いてくれる存在だった。
上手くいかないなと感じるときに「不思議の国」に逃げる。逃げるという言い方はよくないかもしれないが、そこに行くと少し救われた気分になる。でも、いつの間にか私のその習慣はなくなっていて、 今や布団に入っても(明日の労働面倒だな、どうしよう…)とか現実のことばかり考えてしまう日々になっていることに気づいた。 今や空想世界に入り込めているのは朝にアニメを見ている間ぐらいになっていて、その時間ですら横目でSNSの様子を気にしていたりして…、よくないな。
この映画ではアリス(と不思議の国の住人たち)に勇気を貰って変わったりせが「彼氏でもできた?」と友だちから聞かれ「推し…かな!」と答えるシーンがあり、ソーシャルゲーム的な画面にアリスの姿が映る。観終わった直後は(推しって……え?)と戸惑いながら映画館を後にしたが、推しだとか萌えだとかは言葉の綾であり、フィクションに縋り、救われることの肯定をしてくれているのではないかと今思う。 何もりせのお祖母ちゃんのように莫大なお金をかけて仮想世界を作り上げなくてもよくて、スマホアプリ内にいる一キャラクターを大事に想うでもいいわけだ。SNSが発達した今アニメやゲーム趣味においても「不思議の国」ではなく「就活」側、つまり作品の作り手の言動であったり商業的な指標や社会的意義の方ばかり見てしまいがちなのでもう少し不思議の国でアニメと、過ごす時間を増やしたい。